伝統を継承する

 イタリアでは音楽学校のことを「コンセルヴァトーリオ coservatorio」と言いますが、これはコンセルヴァーレ conservare(保存する、保持する)からきています。もともとは16世紀にナポリやヴェネチアなどにあった孤児のための慈善院で音楽教育を施したのが始まりで、作曲家アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678〜1741)はそこで教鞭をとっていました。カストラートの歌手達もこのコンセルヴァトーリオで卓越した歌唱力を身に付け華々しい活躍をしました。では、なぜ音楽学校の語源がコンセルヴァーレなのでしょうか。それは、先人たちが創り上げてきた叡智や文化を確実に保存し次の世代にしっかりと継承する機能をもっているからだと言われています。

 ベルカントの技術は師から弟子に長い期間をかけて受け継がれてきたもので、科学的な手法ではなく感覚的な側面に頼りながらも、師の豊かな経験と揺らぐことのない確かな感を基に継承されてきました。多くの師が共通する確かな感覚でもって形の見えない発声法を継承してきたことは驚くべきことで、ここにベルカントの普遍性があります。

 現在では科学的な側面からの研究が進み、発声のメカニズムが徐々に解明されてきました。しかし、どんなに科学が発達しても、その側面からのみのアプローチではベルカントを身に付けることはできません。やはり従来の感覚的な側面からのレッスンが重要で、科学的な手法はあくまで補助的な手段なのです。もし科学的な手法のみで身に付けられるのであれば、機械を使った訓練のみで一流になったオペラ歌手がどんどん生まれてくるはずですから。

レッスン会場

 ところで、コロナ禍のためオンラインレッスンという形態が普通に市民権を得るようになったおかげで、これまでなら出会うことのなかった遠距離の方々のレッスンをする機会にも恵まれました。しかし、オンラインレッスンには限界があり、機械を通した歌声や姿だけでは生徒さんの声の状態を正確に把握できないという問題を抱えていました。そんな中、先日東京で対面レッスンを行う機会に恵まれました。これは下北沢で開催される日本ロッシーニ協会さんの例会に参加するのに合わせて対面レッスンも行おうと、少々欲張りなことを企画したからです。

 

 


 西日暮里でコロナの対策がされた広いレッスン室をお借りする事ができ、レッスン当日を迎えました。オンラインでは何度もレッスンをしてきましたが、やはり対面でのレッスンは大違いで、生徒さんの状態がはっきりと把握でき、オンラインでは曖昧だった部分が一気にクリアになりました。生徒さんも対面でのレッスンに大変満足していただいたようでした。

  日本ロッシーニ協会さんの例会もワクワクするような内容で、最新の研究成果を踏まえた話を映像資料も交えて聞くことができたのはとても有意義でした。これまで論文や著書を読んだり、演奏や録音を聞いたりして勉強してきた事が一つに繋がって、とてもスッキリと整理することができました。

 やはり、どんなにテクノロジーが発達してもライブに勝るものはありません。特にレッスンでは経験と揺らぐことのない確かな感を基に(もちろん科学的な側面からの知識も補助的に)ベルカントの技術を伝えていくことが重要で、対面でのレッスンがとても有効だと改めて実感することができました。コロナ禍で音楽を取り巻く世界はまだまだ厳しいものがありますが、「自分自身が身に付けてきた事を少しでも還元していかなくては」と思いを強くする事ができました。