ベルカント唱法とは


 Belcanto(ベルカント)とは、イタリア語で「美しい歌声」という意味で、イタリアの伝統的な歌唱法です。この歌唱法には次のような特徴があります。

・低音から高音まで瑞々しく美しい声で歌うことができる。

・欧米人のような大きな骨格をもたない日本人の体でも、無理

 なく美しい声を響かせることができる。

アジリタ(声を転がすように細かい音符を歌うテクニック)

 を身に付ければ、楽器のように音階・モルデント・ターン・

 アルペッジョ・トリルなど、細かい装飾音や速いフレーズも

 的確に歌うことができる。→装飾歌唱を得意とする発声法

オペラ「椿姫」 ヴェローナ野外劇場
オペラ「椿姫」第1幕から(ヴェローナ野外劇場) 広大な野外劇場の舞台を効果的に使った演出です。オペラ歌手はマイクを使わずに歌いますが、その瑞々しく美しい歌声はオーケストラの分厚い音を乗り越えて響いてきます。

 つまり、無理をすることなく人間のもつ能力をフルに発揮して歌う方法です。それは決して大声でわめくのではなく、瑞々しく美しい声であり、そしてよく通る声です。その歌声は口から聞こえてくるのではなく、歌手の体全体から発せられ周りの空間を響かせます。「あの歌手は一体どこから声を出しているのだろう」と不思議に思われるかもしれませんが、それは歌手が周りの空間を響かせているからなのです。

 毎年夏にイタリアのヴェローナ野外劇場でオペラが上演されていますが、ここでは今から約2000年前に建てられた古代ローマ時代の遺跡をいかしてオペラを上演しています。収容する観客数は16000人を超えますが、このような広い会場でもマイクを使うことなく生の声で歌うことができるのです。

 さらに、ベルカント唱法を身に付けた歌手は声の濃淡や多彩な色合いを見事に表現し、繊細な表現から力強く迫力のある表現、そして楽器のように速い音符や多彩な装飾音も的確に歌いこなすなど、実に多様な歌唱表現ができます。このように、「ベルカント唱法」は音楽や歌い手の多様な要求に合わせて様々な歌唱表現を可能にする、「歌唱芸術を支える土台」となるものなのです。

オペラ「トロヴァトーレ」の舞台
ゼッフィレッリ演出のオペラ「トロヴァトーレ」の舞台セット。ヴェローナ野外劇場の古代ローマ時代の雰囲気を生かした迫力ある舞台です。このような大きな舞台であっても、歌い手は無理をすることなく、繊細かつ迫力のある歌唱表現ができます。そして、これを可能としているのが、「ベルカント唱法」です。

*ベルカント唱法Ⅰ〜Ⅳの内容はPDF形式でも閲覧できます。→書庫

【ベルカント唱法の勉強を始めるにあたって】


  ベルカント唱法は身体中の骨や空洞を効率よく響かせるため、欧米人のような大きな骨格を持たない日本人であっても広い会場に十分に響き渡る声で歌うことを可能とします。特別に恵まれた身体や才能を必要とするのではなく、正しい方法で訓練すれば誰でも身に付けることができます。そして、オペラや声楽曲はもちろん、ポピュラーミュージックから他の多くのジャンルの歌にも応用可能な懐の広さを持ち合わせています。

  また、ベルカント唱法はオーケストラ伴奏でも生の声で対等に勝負する事を可能にする歌唱法でもあります。マイクによる電気的な増幅装置に頼ることなく自分の声そのもので勝負できるため、どのジャンルの歌い手にとっても大きなアドバンテージとなります。さらに、ベルカント唱法は楽器で演奏するかのような複雑で多彩な装飾音を自由自在に歌いこなす「装飾歌唱」も得意とします。どんなに速くて細かい音符であっても、ベルカントの歌い手は一音一音を的確にコントロールすることができるのです。

 つまり、ベルカント唱法は歌を歌われる全ての方々の確かな支えとなり、歌い手の歌唱表現の可能性を最大限に広げてくれる歌唱法なのです。

  では、さっそくベルカント唱法の勉強を始めていきたいと思いますが、勉強を進めていく上で知っておいて頂きたいのは、「ベルカント唱法はイタリアで生まれた歌唱法ですので、日本人である私たちが身に付けていくためには、いくつかの意識改革や特別な訓練が必要となる」という事です。特に私たちが今まで意識していない部分を目覚めさせ動かしていくことが重要で、これにはある程度の時間が必要です。ですので、体がその動きを覚え意識しなくても自然に機能していくようになるまで、じっくり腰を据えて勉強していきましょう。ある程度勉強が進んでくると、今までとは違った美しい声で歌っている自分に気づかれると思います。そして、さらに勉強が進むと「的確な声のコントロール」という確固たる土台の上で自分が意図した通りに歌えるようになり、歌うことを通して大きな充実感や満足感が得られるようになっていきます。

【ベルカント唱法の基礎的なテクニック】

1.呼吸と支えについて


 歌の基礎として最初に学ばなくてはならないのが呼吸法です。ベルカント唱法では、会話をする際の呼吸とは違って、しっかりとした支えをもち常に柔軟な体の状態を保って歌うための呼吸が必要になります。そのためには、私たちが普段の生活の中で意識することのない部分も訓練して意識的に動かす必要があります。

 ベルカント唱法は、腹筋や横隔膜の使い方がドイツの発声法と大きく異なります。ベルカント唱法では、声を出す際に下腹部を徐々に体の中心にへこませながら横隔膜を押し上げて歌います。お腹に力を入れて不自然な緊張を保つことはしません。体は常に柔軟な状態で、自分自身がどんどん外側に向かって広がっていくように感じるのですこの説明に「どういうこと?」と思われるかもしれません。それは、私たちは息を吐いていくと徐々にお腹がへこみ内側に萎んでいくように感じるのが自然だからです。しかし、このような状態では息が吐き出されるのと同時に体はどんどん内側に向かって縮み、だんだん苦しくなってきます。これでは豊かな響きのある歌声は生まれません。

 豊かな響きのある声は、身体中の共鳴する空間を十分に広げ、共鳴を妨害することのないリラックスした状態で歌うことで生み出されてきます。そこで、このような状態を実現するために、ベルカントの歌い手はステージ上で外側に向かって大きく広がっていくように感じながら歌っているのです。

 さて、下腹部を後ろにへこませていくと次第に重心が後ろに移動し、そのまま続けると後ろに倒れそうになります。そこで、重心を少し前に置きながら体のバランスを上手く保って(体に余分な力がかからず柔軟な状態で)歌うのです。そして、声を出すにしたがって両腕を広げた方向に徐々に広がっていくように感じ、同時に天井の方に向かって伸びていくように感じ、さらに床の方にも体重が徐々に移動していくように感じます。このように、全ての方向に広がっていくように感じることで、自分自身が自信に満ち堂々とした姿で立っているような感覚が生まれ、同時に柔軟な体の状態を保つことができるのです。また、体が常に柔軟な状態だからこそ、曲の流れに乗って自然な呼吸ができ、曲に合ったフレージングも自然な流れの中で実現することができます。

呼吸法の図①「全ての方向に広がっていくように感じる」

 では練習のポイントです。呼吸の練習をする時には、実際に声を出すのではなく息だけで行います。上唇と下唇の間にわずかな空間を開け「スー」と息が擦れる音を出すか、もしくは「Puー」と発音するイメージで息をゆっくり出しながら、体が大きく広がっていくのを感じてください。最初から全ての方向に広がっていくのを感じるのは難しいので、少しずつ感じようとする部分を増やしていくようにしてください。また、体のどこかに力が入ってしまうことのないよう、常にリラックスして柔軟な状態を保つようにしてください。この呼吸に慣れてきたら、さらに他の部分も広がるようにします。背中の腰より少し上の部分をゆっくり左右に広がるように感じ、脇腹の部分は上下にゆっくり広がるように感じてください。

呼吸法の図②「背中は左右に、脇腹は上下にゆっくり広がるように感じる」

 この呼吸法は歌う上での土台となるものですから、発声練習の前にウオーミングアップとして必ず練習してください。実際に声を出す練習に入ってからも、この呼吸を感じながら声を出すことを意識してください。この呼吸法がマスターできてくると、自分自身が外側に向かって大きく広がっていくのを感じるのと同時に自信に満ち溢れてくるような感覚が生まれます。この感覚は舞台で表現をする上での大きな助けとなります。

2.口の開け方と舌について


 口を開ける際には、下顎を下げるのではなく上顎を上げます。この時、軽く下顎を引いて少し斜め下を見た状態から上顎をゆっくり上げていくと分かりやすいと思います。 私たち日本人は普段このような開け方をしないので、顎の付け根が硬くなかなかうまくいきません。しかし、繰り返し練習することで次第に楽に開けられるようになります。最初から大きく開けるのではなく、徐々に大きく開けていくようにしてください。口は横ではなく縦に開くようにしてください。低音から中音はそれほど大きく口を開ける必要はありません。高音に行くに従って徐々に大きく開けていきます。力を入れずに自然に口を開け、上の歯と下の歯の間(奥歯の方)に必ず空間があることを確認してください。

 ここでもう一つ重要なポイントがあります。それは、口を開けた時に上の歯が見えない程度に上唇で軽くカバーされた状態を保つことです。力を入れて鼻の下を伸ばすという感覚ではありません。軽く、そして力を入れることなくそっとカバーするのです。これは意外に知られていないのですが、高音を出す際に有利になる重要なポイントです。誰でも高音になってくると苦しくなって上の歯が見えやすくなってきますが、ここで上の歯が見えないように上唇で軽くカバーされた状態を保てると、口の奥の空間が十分に広がり美しい響が生まれます。逆に上の歯がしっかり見える状態だと口の前の部分が開き過ぎ、口の奥の空間が狭くなって歌うのが苦しくなり、その結果、力で押し出すような歌い方に陥りやすくなります。ですので、歌い手は舞台で上の歯の歯並びの美しさを見せるのではなく、歯が見えないように軽くカバーされた状態を保って歌う事が大切なのです。そうすることで、押しつぶされた貧弱な響きになるのを防ぎ、低音から高音まで美しい声が響くようになります。

 次に厄介なのが私たちの舌です。私たちは、極端に高い音を出そうとすると喉が詰まってうまく声が出なくなります。この時の口の奥の状態を鏡で見てください。きっと舌が邪魔をして口の奥が見えなくなっています。そこで、この舌を意識的に下げ、口の奥がよく見えるようにすることが必要となるのです。わかりやすい方法として、びっくりした時の「ハッ」と息を吸う瞬間を思い出してください。その際には舌が自然に下がり、さらに眉毛や頬が少し上にあがることで口の奥の方に空間が確保されています。(もちろん、上の歯は外から見えることなく自然にカバーされた状態になっているはずです)このように、歌う際には口の奥の空間が十分に確保されるようにコントロールしていきます。

 日常生活において私たち日本人は口先の浅い部分で発音しているため、このような口の奥まで使った舌の動きには慣れていません。そのため、この舌を下げる訓練はなかなか大変です。しかし、訓練することで意図的に舌を下げ、歌う際に必要な空間を作ることができるようになります。根気よく練習をしてください。

3.発音について


 ベルカント唱法は、母音唱法と言われるぐらい母音の響きを大切にして歌います。a,i,u,e,o のどの母音も同じように響かなくてはなりません。なぜなら、母音によって響きが違ってはレガートなフレーズは歌えませんし、言葉がはっきりと伝わらない歌になってしまうからです。 

 さて、この母音ですが、私たちが日本語を話す時の a,i,u,e,oとは大きく違います。日本語は口先の浅い部分で発音し、アクセントは音程の高低でつけます。表情もあまり変えることなく発音し、イタリア語と比べると平面的な話し方となります。そのため、日本語を話す時と同じ感覚で歌うと、つぶれたような汚い響きになってしまいます。一方、イタリア語の母音はかなり深く、立体的な発音が特徴です。顔の表情は豊かで日本語より高い響きで発音し、周りの空間を響かせるように話します。アクセントはリズムよく強く響かせます。そのため、イタリア人は話しているのを拡大していくとベルカントの歌い方となっていきます。

 では、実際の発声練習でのポイントについて説明します。まず最初に、私たちが普段日本語を話す時よりも「高い位置で声を響かせる感覚」をつかむことが必要になります。そこで、「ha,ha,ha,ha,ha,ha,ha,ha,ha-(ドレミファソファミレドー)」の音型で頭より上の空間を響かせる練習を行います。この練習では真っ直ぐ前を見るようにし、表情豊かに眉毛や頬骨の辺りを上にあげて歌うと頭の上の方で響きやすくなります。声を出す前に頭の上の空間をよくイメージしてから声を出す練習をしてください。(前もってこれから響かせる空間を準備しておくことが重要です!)また、頭の上の方に向かって「山を描く」ように手を動かしながら声を出すと、高い位置で響かせる感覚がつかみやすいと思います。このような練習を行うことで、次第に高い位置で声を響かせることができるようになっていきます。この高い位置で響かせる感覚がつかめたら、次は各母音の発音の練習に入っていきます。

発音の図「頭より上の空間を響かせる」

 イタリア語の各母音の発音は i,e,a,o,u の順に深くなっていきます。発音する際には各母音の口の形が重要になりますが、口先をはっきり動かすというよりも、口の奥の部分まで含めてどのように動かすかが大切です。口先ばかり意識して口を大きく開けすぎると、結果としてつぶれたような響きになってしまいますので注意してください。さらに、上の歯が見えないように上唇で軽くカバーされた状態を保って歌う練習をしてください。口の奥の空間が広がり、深い発音がしやすくなります。

 では、各母音を練習する際に注意したい点を以下に示します。

【各母音の発音のポイント】

「i」は横方向に食いしばるのではなく、少し縦に開け、上の歯と下の歯の間に必ず空間があるようにします。
「e」は「i」の縦の空間を維持したまま上の方で少し横に空間が広がるイメージです。
「a」は「e」よりも大きい空間が必要で、教会の丸いドームのような空間をイメージします。
「o」は口を縦に開けるイメージで、「a」よりも奥の方で発音します。
「u」は口笛を吹くように口先を丸くして発音します。ストローで何かを吸うときのイメージです。

 母音の練習では、最初の「i」の発音を獲得するのにも苦労しますが根気よく勉強を進めなくてはなりません。特に「u」の発音は日本語の「ウ」とは大きく異なり、かなり深い発音となります。日本人が普通に「ウー」と発音すると、多くの場合「yu-」のような発音になりがちです。「o」に近い発音をするようにと言われることもありますが、それも正確ではありません。イタリア人の発音する「u」は実に深い音なのです。口笛を吹くように口先をしっかりすぼめて深く発音するのです。ちょうどストローでゆっくりと吸うようなイメージです。「それでは苦しくて声が出ない」と思われるかもしれませんが、繰り返し練習する事で必要な部分が動くようになり、だんだんと深い「u」の発音ができるようになってきます。

 なお、次のベルカント唱法Ⅱで詳しく紹介していますが、勉強がさらに進むと「プント(響きのポイント)」と「頭の後ろの空間が開いていること」を同時に感じながらバランスをとって歌うことが必要になってきます。そして、この2つのバランスを上手くとって歌うことにより、より立体的で深い発音をすることができるようになってきます。発音の勉強は時間がかかるので、腰を据えてじっくり取り組んでください。

musica scritto

 繰り返しになりますが、私たち日本人がこのような深い母音の響きを獲得していくためには、普段使っていない顔の筋肉や筋を鍛えなくてはなりません。なぜならイタリア人は、先ほども述べたように顔の筋肉を十分に使い、高い響きでリズムよくアクセントをつけて話すため、声が周りの空間によく響きます。まるで歌っているかのようです。しかし、日本人はこのようにはできません。この点において、私たち日本人には大きなハンディキャップがあるのです。ですから、私たちには「普段使っていない部分を意識的に動かしていく」という特別な訓練が必要になるのです。

 なお、各母音の発音は録音をとって勉強の進み具合を確認することもできます。(*1) 録音した音を聞くと、最初の段階では純粋な母音の響きになっていないので、いわゆる雑音の部分が多く言葉の発音が明確でなかったり、薄っぺらい発音になったりします。しかし、上達するに従い雑音の部分が少なくなり、各母音の響きがクリアーになっていきます。そして、雑音が減ってくるに従って言葉の発音が明瞭になってくるのが確認できます。もちろん、専門家によるレッスンで確認していただくことが最も重要です。あくまで録音は練習の際のチェックに使います。

 

(*1)

 使用する機材には注意が必要です。機材によっては実際の音とかけ離れた音になる場合があり、「こんな声だったのか」とがっかりするかもしれません。その原因としては、初期設定でMP3などの圧縮形式の録音フォーマットとなっている場合があり、実際の音とはかなり違った薄っぺらい音になってしまうことが考えられます。また、マイクの位置は重要で、適切な位置で録音しないと大音量の歌声を正確に捉えきれないこともあります。声のチェックをする場合には、適切なマイクの位置を見つけ高音質のフォーマットで録音されることをお勧めします。

 いかがでしたでしょうか。ここまでの勉強でベルカントの基礎である「呼吸」・「口の開け方」・「発音」がある程度できるようになったら、次は少し高度なテクニックの勉強に進みます。「ベルカント唱法Ⅱへどうぞ。🎵

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