エンリコ・カルーソー〔1873〜1921〕は、最初はテノーレ・ディ・グラツィアとしてスタートしました。しかし、キャリアを重ねるにつれて完璧にコントロールされた呼吸法を獲得し、中音域での陰影を強調し、しだいに強大な声の響きをもつようになり、ヴェスリモ・オペラのレパートリーも増えました。また、ルビーニと同じく「声の涙」をもち、ビロードのような響きと柔軟性、独特のアクセントなどを生かして、今までにはない人物像を表現しました。アメリカのメトロポリタン歌劇場でも長く活躍し、録音や映画も多く残していて、現在も彼の声の響きやフレージングを聞くことができます。このカルーソーの最大のライバルとしては、アレッサンドロ・ボンチ〔1870〜1940〕がいます。ボンチは、カルーソーとは正反対の方向のテノールで、中音域を広げすぎずアジリタやフィオリトゥーラ(装飾歌唱)を自在に歌うことができるテノーレ・ディ・グラツィアの歌手でした。彼は、「清教徒」「愛の妙薬」「リゴレット」などを得意とし、ヴェズリモ・オペラのレパートリーはほとんど歌いませんでした。
他にも多くの歌手がいますが、テノーレ・ディ・フォルツアのジョバンニ・ゼナテッロ〔1866〜1949〕を挙げておきます。ゼナテッロは、現在も続くアレーナ・ディ・ヴェローナの野外オペラを創設し、彼自身も「カルメン」「アイーダ」「オテロ」などでよく歌いました。そして、後年デビュー前の若きアリア・カラスの声を聞き、彼女を「ジョコンダ」(アレーナ・ディ・ヴェローナにて)でデビューさせました。
第一次世界大戦直前の頃、イタリアでは多くの優れた歌手がオペラの舞台に登場しました。代表的な歌手としては、ベルナルド・デ・ムーロ〔1881〜1955〕、アウレリアーノ・ペルティーレ〔1885〜1952〕、ジョバンニ・マルティネッリ〔1885〜1969〕、ベニアミーノ・ジーリ〔1890〜1957〕、ティト・スキーパ〔1888〜1965〕、ラウリ・ヴォルピ〔1892〜1979〕です。その中でも、ジーリは、明るく調和のとれた均質で自然な発声で、テノーレ・ディ・グラツィアの歌手として活躍しました。また、映画にも出演していて「マンマ」「忘れな草」が有名です。若き日のパヴァロッティは、ジーリのオペラ公演を聴いて大変感銘を受けたそうです。
一方、スキーパはデリケートでソフトかつ柔軟な声が持ち味で、声の陰影を巧みにつけました。特にスキーパの「愛の妙薬」、「アルルの女」のフェデリコの嘆きは彼の持ち味が生かされています。ちなみに、スキーパも映画に出演しています。
ジーリとスキーパの継承者として、フェルッチョ・タリアヴィー二〔1913〜1995〕がいます。タリアヴィーニは、甘くて柔らかく丸みのある声で「セヴィリアの理髪師」「愛の妙薬」「アルルの女」などで素晴らしい歌唱を示しました。
この時代には、現在でも語り継がれる大歌手のジュゼッペ・ディ・ステファノ〔1921〜2008〕とマリオ・デル・モナコ〔1915〜1982〕が登場しました。ディ・ステファノは、明るく澄んだ声の響きで、そのてんめんとした歌い方はディ・ステファノ独特のものでした。大劇場での活躍は勿論、ナポリ民謡でも素晴らしい録音が残っています。彼の歌唱のテクニックは変わっていて、パッサッジョでもアペルトのままで歌うので、他の歌手にはない個性的な歌唱表現となりました。また、晩年のマリア・カラスと世界各地でコンサートを行いました。若き日のカレーラスは、ディ・ステファノの録音を擦り切れるまで聴いたといいます。一方、デル・モナコは、ドラマティック・テノールとして活躍し、その声は「黄金のトランペット」と言われ、その力強い声で圧倒的な「オテロ」を演じました。彼の中音域を増大させる歌い方は独特で、誰も彼の真似はできませんでした。NHKのイタリア歌劇団公演に参加していますので、実際にお聴きになった方もみえると思います。また、デル・モナコは、本番前に喉を守るため、だれとも話さず筆談だったと言いますし、公演終了後はすぐに自宅に戻り、自分の録音を聴いて勉強したと言います。ディ・ステファノが社交好きだったのとはまさに正反対でした。
この2人に続く大歌手としては、フランコ・コレッリ〔1921〜2003〕、カルロ・ベルゴンツイ〔1924〜2014〕、アルフレード・クラウス〔1927〜1999〕がいます。コレッリは、ややバリトン的で力強い響きを持っていますが、三点ドでも幅広くよく響きました。高貴でゆったりとしたフレージングで、ヴェズリモだけでなく、「ノルマ」や「海賊」といったベッリーニのオペラでも素晴らしい演奏を残しました。ベルゴンツイは、最初はバリトンとしてデビューし、後に「アンドレア・シェ二エ」を歌ってテノールに転向しました。確かな発声技術でレガートかつ柔軟さがあり、特にヴェルディの「仮面舞踏会」「ドン・カルロ」などで素晴らしい演奏をしています。スペイン人のクラウスは、確かな発声技術でアクートを響かせ、エレガントでつやのある歌唱が持ち味でした。「連隊長の娘」「ファウスト」などで素晴らしい演奏をしています。
続いて、後に3大テノールと呼ばれるルチアーノ・パヴァロッティ〔1935〜2007 イタリア〕、プラッシド・ドミンゴ〔1941〜 スペイン〕、ホセ・カレーラス〔1946〜 スペイン〕が登場しました。
パヴァロッティは、明瞭な発音で明るく若々しく響き、特にアクートでの輝きが持ち味でした。キャリアの初期に「連隊長の娘」のトニオ役において胸声で9回の三点ドを難なく成功させて脚光を浴びました。「愛の妙薬」「ランメルモールのルチア」「ファヴォリータ」「リゴレット」「ラ・ボエーム」などで成功を収め、「仮面舞踏会」や「アイーダ」までレパートリーを広げていきまた。
ドミンゴは、柔らかく丸みのある響きに加えて力強さもあり、ベルカント・オペラからヴェズリモ、ワーグナーに至るまでの幅広いレパートリーをこなします。また、時にはバリトンとしても歌っています。彼の場合は、歌唱は勿論、役者としても優れていました。キャリアの後半からは、指揮者としても活躍しています。
カレーラスは、最初はつやのある高貴な声の響きをしていて、幅広い役を歌いました。(ロッシーニの「オテロ」の全曲録音もあり、オテッロ役の華やかなアジリタも見事に歌ったことがわかります。)やがて、力強く情熱的な部分が多くなり、ヴェズリモのレパートリーも増え、だんだんとドラマティックな表現へと移行していきました。
このような流れの一方で大きな変化もありました。それは、1980年から始まるローッシー二・フェスティバルによる「歴史的なベルカント唱法」の復活(ロッシーニ・ルネサンス)です。これにより、忘れ去られていたアジリタを駆使したフィオリトゥーラ(装飾歌唱)が聴けるようになりました。また、ペーザロのロッシーニ財団からクリティカル・エディションが出版され、当時の演奏スタイルに近づける努力がなされています。(このような流れはヴェルディのオペラ作品についても行われ始め、リコルディ社からクリティカル・エディションが出版されています。)
このロッシーニ・フェスティバルでは、アカデミア・ロッシニアーナが併設され、ロッシーニ演奏の権威として知られイタリアの指揮者・音楽学者であるアルベルト・ゼッタ〔1928〜2017〕の指導のもとで若手の歌手が最新の研究成果を学び、優れたロッシーニ歌手が輩出されました。その中の代表的な歌手として次の歌手たちがいます。ウイリアム・マッテウッツイ〔1957〜 イタリア〕は、三点ファを響かせ、軽快なアジリタで聴衆を驚かせました。「ランスへの旅」での超絶技巧の名唱が残っています。続いて、ロックウェル・ブレイク〔1951〜 アメリカ〕は、驚くほど自在なフィオリトゥーラ(装飾歌唱)でオペラブッファだけでなくオペラセリアの役も歌い、ロッシーニの作品の本来の姿を再現しました。
そして現在一番活躍している歌手として、ファン・ディエゴ・フローレス〔1973〜 ペルー〕がいます。彼は伸びのあるアクートと巧みなアジリタの技術をもち、これまで忘れられていたロッシーニ作品の素晴らしさを今に伝え、ロッシーニ・テノールとして高い評価を得ています。なお最近では、ロッシーニ以外にもレパートリを広げ、世界各地で活躍しています。
フローレスと並んでロッシーニ・テノールとして活躍しているのがローレンス・ブラウンリー〔1972〜 アメリカ〕で、彼は明るく高音まで伸びる声と巧みなアジリタで定評があり、「チェネレントラ」のラミロ王子役や「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵役での素晴らしい歌唱に定評があります。また、バリテノーレのマイケル・スパイアーズと組んで、ロッシーニの「オテロ」、「湖上の美人」、「リッチャルドとゾライデ」、「アルミーダ」から、アジリタを駆使した多彩なフィオリトゥーラを満喫できる重唱を集めたアルバムをリリースし、高い評価を得ています。
これまでテノール歌手の誕生から現在までを見てきましたが、初期のテノール歌手はバリトンのような音域からスタートし、長らく脇役的な存在でした。その後、カストラート歌手の活躍の影響を強く受け、テノール歌手も華やかな装飾歌唱の技を身に付け、オペラの前面に出て活躍するようになりました。しかし、この頃のテノール歌手は現在のテノール歌手とは違って高音はファルセットの柔らかい声で歌っていたので、演じる人物像やオペラ全体の印象もかなり違ったものになっていました。この後、次第に力強い歌声へと移行していきますが、現代のテノール歌手の声に大きく影響しているのは、やはりカルーソー以降からとなります。特に第二次世界大戦後間もなくは、カルーソーの流れを汲む力強く大声を張り上げて歌うスタイルが中心で、聴衆もそのような声をもてはやしました。マリオ・デル・モナコは正にその流れの中で活躍したドラマティック・テノールです。その後、社会情勢が安定してくる中で多様な価値観が生まれ、その中でロッシーニ時代のアジリタを駆使したフィオリトゥーラを歌うテクニックが復活し、かつての純粋に声の美しさを追求する歌唱芸術も見直されてきました。また、これとは別の流れとしてカウンターテノールの声も増え、高いクオリティでバロック・オペラの復活上演が行われています。その結果、現在ではバッロクからベルカント・オペラ、ヴェルディ、ヴェズリモ、ワーグナー…にまで及ぶ幅広いオペラの演目が世界各地で上演され、多様なテノールの声を聞けるようになっています。このように多様な声を高いクオリティで聴くことができるという点においては、現在はかつてのオペラ黄金期とは別の意味での黄金期と言ってもよいのかもしれません。
テノール歌手の歴史Ⅱ < テノール歌手の歴史Ⅲ