ベルカント唱法の少し高度なテクニック


基礎的なテクニックの勉強が進み、「呼吸や支え」、「姿勢」、「発音」などをマスターしたら、次はベルカント唱法の少し高度なテクニックの勉強へと進みます。ここでは、マスケラ」、「プント」、「ジラーレといった、イタリアの発声法ならではのテクニックを学びます。これらのテクニックを身に付けることで、ベルカントの歌声の特徴である「歌い手の口から聞こえてくる声ではなく、周りの空間が響いて聞こえてくる声」で歌えるようになります。その声は瑞々しく美しい声で、オーケストラ伴奏であってもそれを乗り越えて聞こえてきます。また、声の濃淡や多彩な色合い、発音の微妙なニュアンスなど演奏する上で重要になる様々なテクニックを支える確かな土台となります。 
teatro regio
多くの名演が行われてきたパルマ王立歌劇場。ヴェルディ・フェスティバルがこの歌劇場を中心に開催されています。

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1.マスケラ、プントについて《 maschera , punto 》


 歌の勉強が進んでくると、歌の先生からよくマスケラとかプントとか言われるようになります。これは、歌う際に「響きのポイント」をどこにもって歌うかを問題にしています。これを意識しないで歌うと、母音や音程によってムラができ、非常に不安定な歌声になってしまいます。逆に、これを意識して練習する事で、正確な音程や深い母音の発音など多くのテクニックを支える確かな土台を築くことができます。

 では、この響きのポイントをつかむための練習方法を一つ紹介します。まず、ハミングをするとよくわかるのですが、目よりも上の部分(ハミングのやり方によっては口のあたりに感じる可能性もありますが、それよりもずっと上の位置です)に響くポイントが感じられます。歌う際は、そこよりもさらに上(この高さが重要です)で、顔面よりも前の空間(高音になるほど遠くに感じるようにします)に「響きのポイント」を意識して歌います。目線は真っ直ぐ前を見たままで歌います。ハミングだけではなく巻き舌による音階練習も併用すると、よりはっきりとつかめると思います。この響きのポイントは私たちが普段日本語を話す時よりもかなり高い位置となります。このポイントが低いと、この先に学ぶ全てのテクニックが難しくなります。逆に、このポイントを高い位置でつかめると全てのテクニックが容易になり、美しくよく通る声になっていきます。

 響きのポイントがつかめたら、ずっとそのポイントにだけに意識を置くのではなく、そのポイントを保ちながら同時に自分の頭の後ろの空間を意識し、そこが開いているような感覚を持ちます。(オペラ史上最も有名なテノール歌手の一人、エンリコ・カルーソー〔Enrico Caruso 1873〜1921〕 は自分の後ろに大きな郵便ポストを感じて歌っていたと言います。)この頭の後ろの空間が開いている感覚を持つ事は、次に紹介するジラーレに繋がってきます。そして、「自分の前方にあるプント」と「頭の後ろ空間」の2つのバランスをうまく取りながら歌います。これにより、より深みのある声となり、自分の周りの空間が響くようになっていきます。

ベルカントのテクニックの少し高度なテクニックの図①「頭の後ろの空間を開く」

 さらに勉強が進み、響きのポイントや後ろの空間をしっかりと感じられるようになったら、「1.呼吸と支え」で勉強した外側に向かってどんどん広がっていくのを感じ、「2.口の開け方と舌」で勉強した舌を十分に下げた口の空間を作った上で、今回勉強した高い響きのポイントを保ちながら頭の後ろが開く感覚をもつ…というように、全ての作業を同時進行で行わなくてはなりません。「同時に全ての事を意識するのは難しい」と思われるかもしれませんが、一つ一つ順番に訓練していく事で意識しなくても自動的にできる事が増えてきます。自動的にできる部分は意識しなくてもできるので、意識したい部分に集中して感じたり動かしたりする練習をしていってください。

 ベルカント唱法の勉強の過程においては、勉強が進むにつれて意識しなくても自然にできる部分が増え、新たな感覚や動かし方に挑戦していけるようになっていきます。焦らず一つ一つのテクニックを確実に身に付けていってください。

【ハミングについて】


 ハミングには様々な方法がありますが、ここではホールでもしっかりと響を客席に届けることができ、母音での歌唱と同じように自由自在にコントロールすることができるハミングの方法を紹介します。なお、このハミングの方法はベルカントの発声技術を向上させていくためにとても役に立ちますので、繰り返し勉強してマスターしてください。

【ハミングの練習のポイント】

1.口の中は空間を作らず、舌先は上の前歯の付け根の辺り(柔らかい部分)にしっかりつけておきます。

 (絶対に口の中を膨らませません

2.口はしっかりと閉じます。(「u」の母音を歌うように口先を開けてはいけません

3.最初は目よりも上の部分を狙って響かせます。→慣れてきたら頭よりも上の空間を響かせるイメージへ。

4.練習では表情豊かに眉毛や頬を上げ、頭より上の空間を響かせるイメージで練習してください。慣れてき

     たら、「ドレミレドー」の音型で目線は真っ直ぐ前を見たまま、「山を描く」ように手を動かしながらや  

     るとイメージがしやすくなり、高い位置で響くようになります。

5.ハミングはいつも響をできるだけ高く感じてください。口の中が響くことがないようにしてください。

 高い位置でハミングができるようになると、母音で歌う時と同じように低音から高音まで自由に出すことができます。そして、何よりもハミングは「マスケラ(maschera)」の響きを充実させていくためにとても重要で、発声技術の向上に欠かせないものです。また、この後に紹介するジラーレやアクートのテクニックをマスターする上でも大きな助けともなります。なお、このやり方でのハミングは実際にホールで歌う際にもよく響きますし、将来コンサート等でリハーサルに臨む際、本番のステージのために声を節約したいときにも用いることができます。

2.ジラーレについて《 girare 》


 響かせるポイントをしっかりと意識して歌えるようになったら、次はジラーレのテクニックです。(声楽においてジラーレは声を回すという意味で使っています。)ジラーレさせないで歌うと、声は直線的に前方に響くだけで、とても貧弱な声になります。そこで、歌い手の頭の後ろから前に向かってぐるっと声を回すように感じながら歌います。これが「ジラーレ」です。ジラーレさせて歌うと、その声は波のようにどんどん押し寄せてくるように聴き手に伝わります。これはベルカントの声の大きな特徴の一つです。ジラーレが上手くできるようになれば、声の響きがより洗練され、オーケストラ伴奏にかき消されることなくオーケストラを乗り越えて響くようになります。(発声技術が向上するに伴って、歌声の音の周波数がオーケストラの音の周波数とは別の領域に移行していくため)また、ジラーレのテクニックを身に付けると、次の「ベルカント唱法Ⅲ」のページで紹介しているパッサッジョやアクートも大きな困難を伴うことなくマスターできます。つまり、ジラーレは歌声そのものをより魅力的に洗練させていくと同時に、ベルカントの高度なテクニックを自分のものとしていくための土台ともなっていく大変重要なテクニックなのです。

 では具体的な練習唱法について説明します。まず最初に、プント(響きのポイント)を狙いながら、それとは反対の位置にある「頭の後ろの空間」が開いているのを感じ、そこから頭上を通って前方に回していく感覚をイメージします。この際、自分を中心に大きな車輪が回っているようにイメージしてください。音程が高くなるほどその車輪は大きくなって回転します。手をつけて練習するとイメージしやすくなります。

 この感覚を掴むための一つの練習方法として、「前方のプント(響きのポイント)を見たまま、頭の後ろの空間も見ようとする練習」が効果的です。この練習では、まず最初に前を見たままの状態でゆっくりと息を吸いながら後を見ようとイメージしてください。すると、頭の後ろの空間が徐々に開いてきて、前方にあるプント(響きのポイント)から頭の後ろの空間まで自分の中を棒のようなものが突き抜けているような感覚が持てます。この感覚が持てたら、頭の後ろから頭上を通って前方へ回していくようにイメージしてください。

 これとは別の練習法も紹介します。まず最初に、息をゆっくり吸いながら喉が徐々に広がっていくように感じます。喉が広がっていくのが感じられたら、今度は頭の後ろの空間も同時に感じようとしてください。すると、息をゆっくり吸うとともに徐々に頭の後ろの空間が開き始め、次第にそこから頭上を通って前方に回していく空間が感じられるようになっていきます。

 次に、声を出して練習する際に気を付けたい点について述べます。ジラーレをさせるためには、次の音を歌う前に、その音を歌うのに必要な「前方にあるプント(響きのポイント)」、「頭の後ろの空間」、「頭の後ろの空間→頭上を通って→前方までの空間」をよく感じるようにしてください。そして、それらが感じられてから声を回すように歌います。つまり、今歌っている音を出しながら次に歌う音をよくイメージし、プントや必要な空間を十分に準備しておくことがとても重要なのです。事前に準備をしておかないと、ジラーレが十分にできないので注意してください。また、これらの空間は柔らかく柔軟性のある空間として感じることが大切です。

 なお、この練習はいきなり母音で歌うのではなく、まずはハミング(高い位置で響かせるハミング)で練習した方がこの感覚をつかみやすいと思います。

ベルカントの少し高度なテクニックの図②「ジラーレさせる」

 ジラーレのテクニックを身に付けるにはある程度の時間が必要です。頭の後ろの空間や声を回す感覚が明確に感じられるようになるまでじっくりと取り組んでください。この感覚がつかめると、今までとは別次元の美しい歌声が自分自身から豊かに生み出されてくる事に気づかれると思います。そして、このテクニックをマスターすると、自身の歌唱表現を支える強力な武器を手にしたと実感することができます。

venezia

 以上、ベルカント唱法の少し高度なテクニックについて話してきましたが、その中には私たち日本人にとって難しい部分もいくつか出てきました。これには私たちが普段話している言葉や背景にある文化などが大きく関係しています。この事に関しては、「ベルカント唱法を学ぶにあたって」をご覧ください。

 いかがでしたでしょうか。ベルカント唱法Ⅱではイタリアの発声法ならではの少し高度なテクニックに踏み込んで勉強を進めてきました。その中でも特にジラーレは重要なテクニックです。これがある程度自分のものとなったと実感できるようになったら、次は「ベルカント唱法Ⅲ」に進んでください。

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